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月踊る闇の狂気の少女。

 イベント 『じっくり語り語られてみよう』に参加し,作品について語っています.作品へのネガティブな表記・ネタばれを含む場合がありますが,イベントの趣旨に乗った上での記述とご理解ください.他の方の語り記事一覧 → 『No.13: ”咎 ~イバラヒメノ ツミ~” PV 【伊織ソロ】


えびP。
 基本的に、ニコマスにおいて、アイドルと楽曲などの組み合わせを語るのは愚の骨頂であると考える。それこそ、二次創作は須くオリジナルの劣化だ。故に絶対の正解など存在せず、だからこそ個々人の想いや理想などを詰め込む事が出来るわけで、それがその人にとっての正解だろう。だから、『何故?』という問いはあまり意味はないと思う。・・・といっても、えびPが聞きたかったのはそういう事ではないとは思うが。まぁ、そういう要素やしがらみを無視しても、伊織しか出せない作品ではあるだろう。むしろ、伊織だからこそ、といった方が近いか。

 幾つかの作品でも語った事があるのだが、伊織には他の娘と同じ、あるいはそれ以上に表と裏、素顔と仮面、嘘と本当があるのだと思う。たとえば、それは素直になれない言動と心だったり、満たされた外部と満たされない内面だったり、誰にも見られる外面と誰にも踏み込まれない中身だったりと・・・伊織という少女に触れた事があるのならば、誰しも痛感する事で。それを孤独と呼ぶのか、渇望と呼ぶのか、あるいは絶望と呼ぶのかは人次第。が、いずれにしてもそれらは外部との落差として伊織の足掻きや苦しみを生むのだろう。それらの曖昧な要素が重なった結果として、この作品は『狂気や闇』などといった、救われる事のなかった伊織の結末の一つの、仄暗い未来をイメージさせるのかもしれない。そういう点では、映像によって語る作品ではなく、映像によるイメージによって、視聴者に委ねる作品なわけで、映像自体にはあまり意味はないのか、と思ったりする。

 ”闇”と”月”というキーワードについては、作中で使われてる要素って面があるわけですが、この二つって”女性”に対する言葉の表現であると同時に、”狂気”に通じる部分もあって。屈指の”演じ手”でもある伊織だからこそ、担えるキーワードであるよなぁ。勿論、上記の通り、伊織自身にも通じるところがあるからこそ、”演じる”以上の強烈なものがあるわけであるが。しかし、狂気ってのは、自覚してるものほど手に負えないものはないわけで、伊織ならば間違いなく、ソレだよなぁとか思った。

 あと、作中の演出についてですが、上記でも書いたとおり、イメージ映像としての属性が強いと思うので、個々の演出にそこまで強い意図はないかと。選んだ表情や、”家”や”街”、暗い色彩、不安定なカメラワーク、笑顔で踊る伊織と、テレビの中の泣きそうな伊織・・・そういったものをトータルで捉える作品ですし。ただ、やはり”月落とし”の印象は大きい。この”月”が何なのかってのは色々な解釈が出来るわけで、それこそ狂気だったり、世界だったり、伊織だったり、理性だったり・・・あらゆる要素が存在するだろうけど、結局のところは終局なんだろうと。世界を終わらせるのか、自分を終わらせるかって程度の違いはあるが。
 
 詰まるところ、感情で受け取る作品なのだから、言語化した時点で失うものが多い気がする。それでも言葉にしたくなるのは、仕方のないところか。ま、こんな妄想抜きにしても、妖しい雰囲気に魅入られるってのもいいんじゃないかと思う。


 以下個人的な雑感。所謂この手の作品だと春香が多いし、妙に期待してる人も多いわけだが。あれ、別に春香本来の要素じゃねぇんだよな。言うまでもなく、完全に後付けの作られたイメージ。EDとか~って抜かす輩がいるけど、春香はそこまで弱くねぇよ。強くもないけど、少なくとも自分で立ち直って歩いていける。ただ、伊織はやっぱ、こういう闇の要素は抱え込んでるとは思う。伊織とそこまで接してないから、根っこは分からんけれど。さて、この子を心から笑わせてあげられるのは、どうしてあげる事なんかねぇ。

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Comment

wingeddeath

この作品、映像から感じた物をストーリー的に
纏めて論じた人が多かった様に見受けたのですけど、
僕の場合それをやると厨二病全開になってしまいそうなので、
(いや、あの文が厨二病でないのかと言われれば
返す言葉がありませんがw)
その感じた物を纏める行為そのものがこの作品の
狙いだろうなと思って書いてみました。
鏡月さんの論は、僕の視点よりも更に
引いた視点から見てるんだなと言う印象を持ちました。
特に伊織の二面性に関して彼女が「演じている」と
しているのは、僕の感想とは真逆の解釈で興味深かったです。
  • URL
  • 2008/10/26 00:52

cha

って伊織に言われたら、どうすればいいんだろう?

と記事を読んで瞬間的に思いました。
穏便な対応でどうにかなる、というイメージがわきません。
本当の意味で手に負えないような。
やっぱりこっちも狂うしかないんでしょうかね。
  • URL
  • 2008/10/27 05:48
  • Edit

管理人。

>wingeddeath氏
 確かに、比較的皆さんストーリー的な語りが多い中で、感情的あるいは感覚的な言葉を多く使って纏めたような気がします。ただ、それに必要以上に引き摺られないように、と意識していた部分があるので、それらが結果として、”引いた視点”に繋がったのかもしれません。
  あと、”演じている”という単語はちょっと使い方が乱暴過ぎたかもです。”狂気”ってのは本来抑える事が出来ない要素で、それを作品の中で一定のベクトルをもって表現出来たのは、”演じ手”であるが故にだと思います。役者さんて、その役に成りきらないといけない反面、その人物に飲み込まれてもいけない・・・という事を何処かで聞いた気がするので。なので”演じる”という単語は”狂気に飲み込まれない”と同意義に近いです。もっとも、作品に込められたものが伊織自身に通じる(というか、伊織そのものの)要素なんで、最終的には伊織なのか、演じてるのか非常に曖昧になってるんですが・・・最も、伊織作品は全体的に”演じる”という要素を感じるので、その印象が大きいのかな、と。
 こうやって、一つの作品でも異なる意見が出るのが語りの面白いところですね。

>chaさん。
 はじめまして、chaさん。鏡月です。
 自分の本音・・・それこそ弱さを人には見せない伊織だからこそ、その言葉を発するのは本当の最後の一線なんだと思います。恐らく、踏み留まらせる事が正しい事なのでしょうが・・・難しいですね。その人の為に全てを捧げる事が是とするのならば、狂う事も一つの誓いなのかもしれません。でも、やはり狂気は救われないものだと思うので、心からの笑顔を見せて欲しいと思います。
  • URL
  • 2008/10/27 22:18

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鏡月風海

  • Author:鏡月風海

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